扁桃腺摘出手術の話① 手術を決めた経緯

9月末に手術しました。

 

題名の通り、扁桃腺をとる手術です。

 1週間ほど入院しまして、いうたらまだ退院して1週間も経っていません。

喉もまだ痛みます。

傷も、記憶も新しいうちに体験談を書いておこうと思います。

入院前、手術前、手術後、退院後くらいにわけて記事は書いていく予定です。

 

以下、今回の記事(入院前編)の目次

 

 

 

 

体験談を書こうと思った理由

何でこのブログを書こうと思ったかっていうと、理由は二つあって

 

1つ目は、幸せなことなのですが、物心ついてから入院、手術とかいう類のものはしたことがなくて、せっかくの機会だし(何がせっかく何だかわかんないけども)ブログに残しておこうかなっていうところから

 

2つ目は、私自身この扁桃腺摘出手術を決めるのに、相当悩んで、不安で、いろいろ調べました。

何で調べるかっていうと、ネット。

実際に摘出手術をした人の体験談。

手術前も手術後も調べて、調べて読みまくりました。

おんなじ手術の体験談でも年齢、性別、扁桃腺の大きさもバラバラだし、そもそもの症状も回復の仕方も個人差がもちろんあって、本当にいくら読んでも足りないなあって思うくらいだったから。

 

だから、私の体験談もこれから手術を考えている人、手術が終わって痛みに耐えながら不安な気持ちになっている人。そんな人たちへ少しでも何か得ることがあるといいなあと思って書くことにしました。

 

 

手術を決めた経緯

口蓋扁桃、アデノイドは4~8歳の幼小児期に働きが最も活発で、大きさも最大になります。その後、年齢とともに徐々に縮小して、大人では、ほとんど認められなくなるのが普通です。

慢性扁桃炎 : 耳鼻咽喉科の病気 | 耳鼻咽喉科専門 医療法人財団 神尾記念病院

 

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子供が良くなるイメージですよね、扁桃腺が腫れるのとかって。

そう。私の場合、普通だんだん縮小していくものが縮小しませんでした。

父からの遺伝で私の父も扁桃腺を腫らしてよく熱を出しています。

中学、高校の頃は扁桃腺が腫れて熱を出すなんてことは0に近かったと思います。私が扁桃腺を腫らすようになったのはお酒を飲み始めてから。

お酒の席でタバコ吸う人いますよね、アルコールと副流煙で喉がやられちゃうんです。2次回でカラオケなんぞ行ったらもうイチコロ。

こうして喉を痛めるとみるみるうちに扁桃腺が腫れて熱が出ます。もう一瞬で39度とか出ます。そしてめちゃめちゃ喉が痛い。

そんなことを繰り返すうちに、昔はなかった(気がする)扁桃腺の腫れが、健康な状態でも引かなくなりました。

それからというもの、風邪をひくのは必ず喉から。

内科ではなく耳鼻科に通うようになりました。

耳鼻科の先生の「どのくらいのペースで扁桃腺が腫れるか」との質問に、

「2ヶ月に1回は必ず腫れます」と答えると、

「すぐ手術を勧めます」との回答が(笑)

どうやら年4回以上扁桃腺炎を繰り返す人は慢性扁桃腺炎だから、とっちゃった方がいいのだとか。

 

しゅ、手術、、、、。

ビビっていると、

「次、扁桃腺腫らしてきたら、大学病院へ紹介状かいてあげるからね」と言われました。

 

案の定、すぐ腫らして診察を受けに来る私。しかも、その時の扁桃炎が酷くて、熱も40度近くまで上がり、もう自ら「紹介状書いてください」って言いました。

それを決めたのが6月くらい。

 

 

 

紹介状をもらって

大学病院の予約を取って、ひとまず診察に行きました。

ちなみに大学病院って使うの今回が初めてだったんだけど、どうやら大学病院で初診の場合は紹介状が必要らしい。

そして紹介状がないと、私の行った大学病院では初診料で5000円取られるそう。(これって常識なのかな。)

 

手術日は本当は夏休みのうちにやりたかったんだけど、もう夏休み中は埋まっていて渋々9月の末に設定。1週間の入院が必要な手術だから学校も休まなきゃいけないし、ちょっともやもやした。まあ病院に行くのが遅かった私が悪いです。

 

1週間入院が必要な理由

ちなみに何で1週間も入院しなきゃいけないかと言いますと、

手術自体はそんなに難しい手術でも、時間のかかる手術でもないらしくて、

扁桃腺を焼き切るわけですよね。

すると、心配されるのは術後の出血。

傷のところについているかさぶたが咳とか飲食とかなんかの拍子に取れちゃって、出血とかってなったらとても危険なんです。

傷の場所が場所だけに、出血して、喉に血が詰まって、、、ってこともリスクとしてあるし、だからそのための1週間の入院なんだそう。

 

、、、そんな説明聞いたらなおさらビビりますよね。

 

 

そんなこんなで私の扁桃腺摘出手術が決定しました。 

 

 

身体検査の話

手術をするにあたって、どこか体に悪いところはないか検査します。

採血、採尿、心電図検査、胸のレントゲンも撮って、身長体重測って、肺活量測って終わりでした。

検査はいろんな部屋まわって、やってもらうんだけど、肺活量の測定が割と強烈で忘れられません。

 

肺活量検査

名前を呼ばれて入ると、若くていかにも体育会系の先生が。横にもう一人上司みたいな人が付いてて、どうやら研修医(?)なのかなって感じ。

ただ、その先生とっても気合い入ってて、すごく一生懸命肺活量測定の説明をしてくれます。

 

「この測定にはちょっとしたコツがあるから、一緒にやっていきましょう!」

「僕のいうタイミングで息を吸い続けて、はい!って言ったらはいてください!!」

「はーい」

 

 

「じゃあ行きますよ。吸ってーーーーーーーーーーーーーーーーーーー、、、、」

 

 

(、、、吸ってが長い!)

 

 

 

「はい!吐いてーーーーーーーー」

 

 

 

 

 

みなさん。自分で息思いっきり吸ってみてください。

限界まで。

そして限界を超えて、もう息止まってますけどってとこまで吐かずに吸い続けてください。

 

「はい!吐いてーーーーー!」

 

 

 

 

 

、、、100%息吐き出せた気します?笑

 

あの体育会系の若い男の先生と20代の女の私じゃ肺活量に差があるのわからないかね笑

 

多分、平均値よりも低い数値が出たんでしょうね。その先生、上司に「もう一回やってもいいですか」と確認。許可を得てもう一回チャレンジ。

 

 

 

 

 

2回目

 

「じゃあ行きますよ。吸ってーーーーーーーーーーーーーーーーーーー、、、、」

 

 

(、、、だから!!吸ってが長い!!)

 

 

 

 

「はい!吐いてーーーーーーーー」

 

 

結果は変わらず。私も結構頑張ったつもりだったんだけどね。ごめんね、うまくやってあげられなくて、という気持ち、、、

 

体育会系「どうしましょう…」と困った顔して上司に相談。

上司「もういっかいやってみればー?」の回答。

体育会系「もう一回やりましょうか、、!」

 

 

 

 

 

3回目

 

「じゃあ行きますよ。吸ってーーーーーーー、、、、」

 

 

(、、、短くなった!わかってきたんか!)

 

 

 

 

「はい!吐いてーーーーーーーー」

 

3回目になって、ついに息があってきた!が3回も続けて全力で息を吐き続けると、そうです。疲れます。つまり、結果も良くない。

 

 

体育会系「どうしましょう、もういっk」

上司「もういいでしょう」

 

上司の先生、食い気味に止めてくれました。ありがとう。

 

帰り際、「いっちばんイイ結果を担当の先生に送っときますからね!手術頑張ってくださいね!!!!」とめちゃめちゃ力強く言われた。

結局、一番最初の検査結果が採用されることになりました。笑

なんかやたら疲れました。

でも、あいついい奴だとおもう。笑

 

 

後日

そして後日、担当医から検査結果と手術の説明を聞き、麻酔科から麻酔の説明、病院側から入院の説明をそれぞれ聞いて、残すは手術のみという状態になりました。(それが手術の3週間くらい前だったかな) 

 

 

 

 

長くなりましたが、ここまでが入院までの経緯です。

次は手術前まで書いて行きます。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一眼始めました。

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題名にある通り、2回目のFWから始めたんです。

ちゃんとしたカメラ(お父さんの)

どこのカメラとかはよくわかりません(お父さんのだから)

 

でもカメラすっごい面白くて。たくさん撮ってる。

ケータイじゃあうつらないところまで、写してくれるから、とってもいいです。

重いけど。調子乗って、大槌滞在中の三日三晩、首にぶら下げて歩いてたら、東京帰ってきたときには首がとても筋肉痛になってました。

 

 

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 2回目の大槌、初日は大槌城の城址がある公園に行きました。

海も山も全部が一望できる場所だった。

 

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あとは城址からちょっと下に降りたところにある、東日本大震災津波の納骨堂。

希望の灯りもありました。

この希望の灯り、そういえば陸前高田にもあったなあと思い出しました。

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希望の灯りはもともと阪神・淡路大震災によって被災した、2000年1月に神戸市中央区の東遊園地に設置されたもので、この写真の希望の灯りの火はその分灯。

復興のモニュメントとなっています。

mainichi.jp

 

 

 

お石ちゃんのはなし

 

 

8月上旬、

アブのいっぱいいる山を登ると現れる、お石観音像。

 

観音様。

今までは見かけてもなんとも思わなかった。手さえも合わせなかったと思う。

 

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待ちに待った、第2回目のフィールドワークで訪れた先は、

岩手県北上市にある、とある観音像だった。

 

 

前日から北上に前乗りし、向こうで納棺師をしている笹原さんに北上の言い伝えや怪談を聞いていたメンバーに、

「お石観音にいく」

と告げられた時は、

「なんではるばる岩手まできて観音様なんだろう。あ、わんこそば食べてみたい。1人で食べに行こうかなあ」

なんて自分勝手な心の声が出てしまっていたのを覚えている。

 

 

でも別行動はやっぱり寂しいし。

 

ついて行くことにした。

 

 

笹原さん(納棺師のひと)は遅れて到着してまだ話についていけていない私たちのために、車の中でこれから行くお石観音の話をしてくれた。

 

この観音様が建てられた経緯。

人柱(生け贄)として19歳の若さで、ため池に落とされたお石ちゃんの話。

なんで19歳のお石ちゃんを村の人は生け贄に選んだのか、人柱になった、その後のため池周辺の話を聞いていると、

観音様のところに行きたい、

石ちゃんに手を合わせたい。

そう純粋に思った。

 

実際に観音様と対面すると、お石ちゃんに思わず心の中で語りかけてしまう。

お石観音像はどっしりと立派で、やさしい顔をしていた。

 

観音様にこんな感想を抱くのも初めての経験だ。

 

 

 

笹原さんがたくさんしてくれた、地元、北上にある言い伝え。

笹原さんはすごい。このお石ちゃんの話を聞いた時、「なんで?」って思ったことを沢山調べて、考えて、想って、答えを見つけたそうだ。

「なんで、この歳の女の子は当時なら結婚しているのが当たり前のはずなのに、お石ちゃんは選ばれたんだろう」

そんなこと、私は気にも留めなかった。

笹原さんは気にした。そして調べた。「彼女は隠れキリシタンだったんだよ」当時、有名な長崎だけでなく、北上にも宣教師がいて隠れキリシタンが流行った。そして弾圧されていた。

洗礼を受けていたお石ちゃんは結婚をしていない。だから彼女は選ばれたのだ。お石ちゃんと同じ1620歳くらいの、沢山の女の子が人柱にされたという記録も見つかったという。

 

自分と同い年かそれより若い子が生贄になるなんて。

考えるのも恐ろしいけど、それが現実で起きていたなんて、本当に胸が痛くなる。

 

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この話を聞いたあとだったからかわからないけど、観音様の写真を撮る気にはなれなかった。多分聞いてなかったら、とりあえずパシャパシャ意味もなく撮ってたと思う。

でも、今思うと撮っておくべきだったかな、とも思う。

 

まあ、また行けばいいか。

 

 

石ちゃんの話だけじゃなく、座敷わらしの話とかもしてくれた。

北上には座敷童が住んでいるおうちがたくさんあるらしい。

そして、座敷童に会えると幸せなことが起きるんだとか。

 

怖い話だとばっかり思っていた、座敷わらしは怖いものなんかじゃないんだ、と思った。あとは、こういう言い伝えとか昔話の話の裏っ側には沢山の歴史と犠牲があるってことを知った。

 

なんだかすごくいいことを聞いた気がして、いろんな人に話したくなって、家族やら友達やらに東京に帰ってから話しまくった(笑)

でも笹原さんの話し方がとっても上手だったから、笹原さんから話を聞いてもらいたいなって思ったし、もう一度笹原さんのお話を聞きに行きたいと思った。

来年、会いに行けるかな。

 

3日坊主

 

最後にブログを書いてから1ヶ月。

 

あっという間に1ヶ月が過ぎてしまった。

 

テスト期間直前にブログを立ち上げ、現実逃避をするかのように(実際してたw)ブログを更新した(笑)

テストが終わると、今度はレポートに追われ、報告書に追われ、また岩手に行き、友達と旅行し、家族で旅行し、やっと夏のイベントがひと段落したところでブログの存在を思い出した。

 

昔から、とっても3日坊主気質な私。

小学生の頃、夏休みの宿題に出された一行日記、「夏休みのせいかつ」も最終日に1ヶ月ぐらいの記憶を脳みそフル回転で思い出して、半分くらいはでっち上げのことかいて、提出してたっけ。それくらい継続が苦手(笑)

だからブログだって、別に得意なことじゃなくて、むしろ苦手な部類だよなあと思い出す。でも、写真だけじゃなくて、文章で残すことって、後で見返した時に、すっかり忘れてたことが思い出されたり、懐かしくなれるから好き。

 

無理して書くところにはしたくないし、楽しいって思いながら書きたい。それが誰かの目にとまって「へー」でも「ふーん」でも思ってくれたらもう100点。

 

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たくさん書きたいことができたから。

今日からまた、お気に入りの写真と一緒にマイペースに更新していきます。

 

ひょっこりひょうたん島

 

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 岩手県の大槌湾に浮かぶ島

このコンクリートの道の先に見えるのは

「蓬莱島」

というのですが、

 

 

実は

タイトルにもある通りこの島は

 ひょっこりひょうたん島 のモデルになった島なのです。
だからみんなこの島のことを
「ひょうたん島」
と呼びます

 

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ひょうたん島までの道のり
実は結構長いもので(約400m)


でもこの道を歩いてる時間
私はとても好きでした


この道、1人で色んな音や匂いや風を感じながら進んで行くと、

あっという間に到着します

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この島には小さな神社がありまして、弁財天が祀られていて

地元の漁師さんたちからも「弁天様」と親しまれています

2011年に津波はこの蓬莱島をも襲いました

しかし多少の傷はあったものの弁天様は流出せず、残ったそう

 

 


そして私が島に到着して5分後くらい。ちょうど12時、音楽がながれてきました
ここ大槌町ではお昼になるとひょっこりひょうたん島のテーマが流れるんです

住民の人の中には、朝と昼と夕方に流れる町の音楽をきいて生活リズムを作っている人も多いんだとか、、、

 

 

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このブログのプロフィール画像にもなっているこの写真も

ここひょうたん島で撮った写真です

 こんな時くらいケータイ見るのやめなよってね

 この時は撮った景色をインスタかなんかにあげてたんだと思います。多分…

 言い訳です(笑)

撮られた写真を送ってもらってから気がつきました。反省。

 でも背景が壮大でとってもすてきな景色だからお気に入りなんです。

 

 

 

アクセス

 

 

 


また1つ好きな場所が増えました

 

紫陽花とガーデン

お題「今日の花」

 

紫陽花 ー Hydrangea

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7月には梅雨明けをしていた東京ですが、

私の行った時の岩手県の梅雨明けがまだ。

紫陽花シーズン真っ只中で色んなところで紫陽花が咲いていました。

 

 ベルガーディア鯨山

 

 

ベルガーディア鯨山とは岩手県大槌町にあるガーデン。

風の電話と聞くとピンとくる方もいるのではないでしょうか。

 

 

「風の電話」とは

「風の電話」はどこにも電話線はつながっていません、つながっていないからこそ想いはつながるのかも知れない。これが心の想像力であり、人の持つ力なのかも知れません。これが希望となり、生きる力になる。それを支えているのが心で話す「風の電話」なのです。

突然訪れた別れには「最後に一言伝えたかった」という思いが逝かれた方、残された方にも残ります。また遠くに離れてしまった友人、何か大切なものを失った方々も喪失感(グリーフ)を感じます。そんなグリーフを抱えた方々が心で話します。

 

 

 

このガーデンを作ったのはガーデンデザイナーの佐々木 格()さん。

綺麗な目をした、とても素敵な男性です。(73歳にはみえなかった!)

 

 

風の電話がメディアに取り上げられ、この地が知名度が上がるに伴い、

多くの観光客やマスコミが訪れ、良くも悪くも色々なことがあったのでしょうか

ガーデン内は撮影禁止の箇所があります。

来客に対してナーバスな一面が感じられる。そんな雰囲気もありました。

風の電話に関しては、

「もし風の電話に関して話が聞きたければ本を出しているので、本を読んでからまたいらしてください。」

そう佐々木さんも、佐々木さんの奥さんも言っていました。

 

 

ただ、佐々木さんにご挨拶をした際に、世間話からこのお庭について少しお話を伺うと、 この自慢のお庭に関して、とても饒舌に嬉しそうにお話していただけました。どれだけこのガーデンを愛していて、どれだけこのお花たちが好きなのかがひしひしと伝わって来ました。

そして最後に

「奥にはアスレチックもあるし、森の図書館もあるから、いろんなところを見て回ってね。」

佐々木さんのその言葉から、一部ではなくガーデン全体を見て感じて欲しい。そんな想いを感じました。

 

 

メディアに取り上げられ、『風の電話』だけが一人歩きしているような現状ですが、そうではなくてこのベルガーディア鯨山全体を見てほしい。私もそう感じます。

佐々木さんがつくるこのガーデンはとても大きいんです。

風の電話はその一部なんです。

 

  

そして実際に私も「風の電話」の電話ボックス内に入りました。

 

でも私には何もすることができなかった。

受話器を取り上げるのさえ、失礼なことのような気がして

ただただ、受話器の横にある来訪者のメッセージをみることしかできなかった。

 

でもそれは幸せなことなのかもしれない。

 

 

 

 

風の電話に関しての詳しい記事を朝日新聞デジタルに見つけたので掲載しておきます。気になる方は是非に。

www.asahi.com

 

 

アクセス 

 

※ベルガーディア鯨山は住宅地の中にあります。車で行かれる際などは近隣住民の方への配慮をお忘れなく。

 

七夕

 

もう過ぎてしまった7月の行事ですが、まだ7月なので書きます!

七夕!

 

最後に短冊を書いたのっていつだったかな。

 

 先日、岩手県大槌町へ行きまして、(初めて大槌へ行った話 - PASSPORT)

大槌に行った時がちょうど七夕の時期でした。

 

 

大槌町にある町で1番大きなショッピングモール、「シーサイドタウンマスト」では、地元の子供たちが書いた短冊が沢山飾ってありました。

そのなかの一部をパシャパシャ。

 

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「サッカーせんしゅになれますように」

「いちごがきれいにできますように」 

「もでるになれますように」

 

 

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「ぼくもみんなもげんきにそだちますように」

 

こんな素敵な願い事を書いた子は一体どんな子なんだろう。

 

とっても会いたくなりました。

 

 

 

 

 

そして最後にもう一つ、個人的にめちゃめちゃツボだったお願い事を。

 

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 「ぱんだおうこくにいけますように。」

 

…ちょっとかわいすぎじゃないですか!

「ぱんだおうこく」どこにあるんだろう。中国のこと?和歌山のこと?それともどこか他に素敵なぱんだおうこくがあるのかな、、、?

 

 

「みんなの願いが叶いますように。」

 

 

 た、七夕ってめちゃめちゃいい行事やないか、、、と感じた時間でした。

来年は私もしっかり短冊書きます。(笑)