お石ちゃんのはなし
8月上旬、
アブのいっぱいいる山を登ると現れる、お石観音像。
観音様。
今までは見かけてもなんとも思わなかった。手さえも合わせなかったと思う。
待ちに待った、第2回目のフィールドワークで訪れた先は、
前日から北上に前乗りし、向こうで納棺師をしている笹原さんに北上の言い伝えや怪談を聞いていたメンバーに、
「お石観音にいく」
と告げられた時は、
「なんではるばる岩手まできて観音様なんだろう。あ、わんこそば食べてみたい。1人で食べに行こうかなあ」
なんて自分勝手な心の声が出てしまっていたのを覚えている。
でも別行動はやっぱり寂しいし。
ついて行くことにした。
笹原さん(納棺師のひと)は遅れて到着してまだ話についていけていない私たちのために、車の中でこれから行くお石観音の話をしてくれた。
この観音様が建てられた経緯。
人柱(生け贄)として19歳の若さで、ため池に落とされたお石ちゃんの話。
なんで19歳のお石ちゃんを村の人は生け贄に選んだのか、人柱になった、その後のため池周辺の話を聞いていると、
観音様のところに行きたい、
お石ちゃんに手を合わせたい。
そう純粋に思った。
実際に観音様と対面すると、お石ちゃんに思わず心の中で語りかけてしまう。
お石観音像はどっしりと立派で、やさしい顔をしていた。
観音様にこんな感想を抱くのも初めての経験だ。
笹原さんがたくさんしてくれた、地元、北上にある言い伝え。
笹原さんはすごい。このお石ちゃんの話を聞いた時、「なんで?」って思ったことを沢山調べて、考えて、想って、答えを見つけたそうだ。
「なんで、この歳の女の子は当時なら結婚しているのが当たり前のはずなのに、お石ちゃんは選ばれたんだろう」
そんなこと、私は気にも留めなかった。
笹原さんは気にした。そして調べた。「彼女は隠れキリシタンだったんだよ」当時、有名な長崎だけでなく、北上にも宣教師がいて隠れキリシタンが流行った。そして弾圧されていた。
洗礼を受けていたお石ちゃんは結婚をしていない。だから彼女は選ばれたのだ。お石ちゃんと同じ16~20歳くらいの、沢山の女の子が人柱にされたという記録も見つかったという。
自分と同い年かそれより若い子が生贄になるなんて。
考えるのも恐ろしいけど、それが現実で起きていたなんて、本当に胸が痛くなる。
この話を聞いたあとだったからかわからないけど、観音様の写真を撮る気にはなれなかった。多分聞いてなかったら、とりあえずパシャパシャ意味もなく撮ってたと思う。
でも、今思うと撮っておくべきだったかな、とも思う。
まあ、また行けばいいか。
お石ちゃんの話だけじゃなく、座敷わらしの話とかもしてくれた。
北上には座敷童が住んでいるおうちがたくさんあるらしい。
そして、座敷童に会えると幸せなことが起きるんだとか。
怖い話だとばっかり思っていた、座敷わらしは怖いものなんかじゃないんだ、と思った。あとは、こういう言い伝えとか昔話の話の裏っ側には沢山の歴史と犠牲があるってことを知った。
なんだかすごくいいことを聞いた気がして、いろんな人に話したくなって、家族やら友達やらに東京に帰ってから話しまくった(笑)
でも笹原さんの話し方がとっても上手だったから、笹原さんから話を聞いてもらいたいなって思ったし、もう一度笹原さんのお話を聞きに行きたいと思った。
来年、会いに行けるかな。